9月8日(金)の報告
今回は「我が家の夏休み」というテーマで長くて短い夏休みのエピソードを語っていただきました。
小学校2年生の女の子と年長の女の子のお母様
「終わってみるとやっぱり短かった。幼稚園の先生からイベントだらけの夏休みにしないようにというご指導があったので日常生活のリズムをくずさないようにした。上の子(小2)は子供同士で約束をつけてくるが、下の子(年長)は親がかりになる。今振り返ると夏休みの半分はどこかへつれていってしまった。
毎年友人の山小屋(地上800メートルくらい)に遊びに行く。ここで自然体験ができる。都会のような人的被害(誘拐やいたずら)はないが、自然の怖さはある。なにはしていけないか、どうすればいいかは(子供に)よく話してあるのでほぼほったらかしにしてすごした。ゆくゆくは(客としてではなく)山小屋の仕事を手伝えるようになったらよい経験になると思っている。
日常の生活においては、日々の雑事におわれて例えば子供の興味(手芸)にとことんつきあえるようなゆったりとした時間がもてなかったのが残念であった。」
というお話では「子供にとことんつきあえない」という点について共感される方が多かったようです。
母親が忙しいからだろうか? では、なににせかされているのだろうか。生活の中で時間が分断されているのだろうか。
いろいろなことが同時進行しているのも事実。
こんなことはきっとだれもが感じたり経験があることでしょうが、たとえば、洗濯をして、食器をかたづけて、天気がいいから布団を干して、あ、今日はリサイクルのごみの日だった、掃除機をかけて、やだ、今日生協の日なのに申込書に記入してない。電話だ。「奥様ですか、今回おすすめするのは布団のダニやぬいぐるみをきれいにする掃除機で、いまなら千円でおためしいただけます。」とか。
または、昔のように今の女性は「母」や「妻」だけの役割ではないからでしょうか。
たとえば、仕事やパートだったり、趣味の教室通い、地域活動、ボランテイア活動、PTA活動。いずれにしても、子供が家族の一員として生活にとりこまれていない印象があるようです。。昔のようにお夕飯時にインゲンや絹さやの筋を子供がとるような自然な流れがみあたらないのはどうしてでしょうか。
小学校2年生の男の子一人っ子のお母様
「一人っ子なので早く自立させたい思いが親にあった。お泊まりができたり、お留守番ができたり。今年はサッカーの合宿があったお泊まりがあるのに自分で参加したいと言い出した。親のほうが不安だったが、ぐちゃぐちゃだけれど自分の身の回りのことをちゃんとしたし、友人がいることで安心もあっただろうが、恥ずかしいというプライドもあって夜も泣かなかったようだ。シャンプーも嫌いな子だったのに自分でするようになった。昨年同様アメリカンスクールへもいった。いろいろな経験が自信につなbニも必要です。もっと「ゆるみ」をアちらも小学校2年生の男の子一人っ子のお母様
「イベントをつくったわけではないが、忙しくてほとんど家でゆっくりすることはなかった。始めた剣道の稽古があった。双方の実家へもいった。ゆったりした時間は少なかったが学校の課題のお手伝いは子供なりに料理をつくったりがんばっていた。小さな事でも自分ひとりでしてみることが自信につながったようだ。
一人っ子なので留守番はできないし、母親なしでお泊まりもできなかったが、今年初めて祖母のところで泊まるという経験をした。泣いて泣いて花火が見えないほど泣いたようだが、泣いてもしょうがないことを本人が悟ったようだ。離れてみてよかった。 今までは親のほうが早く離そうとしていたが、本人が納得しての自立につながった。待ってよかった。親もその辺の兼ね合いを知る機会で成長させてもらったなあと思った。」
親が子供の成長をとおして成長させてもらったという感想に拍手がありました。なかなか子育て中にはそうは思えないものです。
このお母様は幼稚園での母親の勉強会やそこから生まれた母親同士の信頼関係から気づかせていただいたということです。
子供を預けてしまって、あとは親の自由な時間、延長保育は300円よということが許されない幼稚園であったことが母親同士の交流・信頼関係・共感を築ける基盤になったということです。
初めて参加された10ヶ月のお子さんのお母様
「母の時代は子育てが楽だったようです。地域もつながっていて。最近感じるのはベビーフードを買って与えているお母さんがとても多いこと。逆にとっても気負ってがんばって離乳食をつくっているお母さんも多いこと。総じて、とてもお母さんが疲れていることやとても真剣になりすぎてロンパースはいつまで着せてたほうがいいのか、上下に分かれた服は何ヶ月から着せてもよいのかとか悩んでしまっている方も見うけられます。」
「環境と子供」もしくは「地域と子供」というテーマはいづれ別に考えていきたいとおもいますが、昔は地域やご近所をとおして助けたり助けられたり、教えたり、教えられたりすることが日常の中にあって、自然に「親」が学べる素地あったのではないでしょうか。
公園デビューについても語られましたが、「子供にお友達がほしい」という気持ちの底に「わたしもおともだちがほしいのよ」という気持ちも含まれているのではないでしょうかという意見もありました。
しかしながら、マスコミの功罪で巧みに経済をすべりこませ、デビューにはこんなお洋服が好ましいとか、ここらあたりのおもちゃを用意しておけば安心というすりこみをされている。
「今の親たちの世代はブランド世代で人と同じが安心という価値基準をもっている。」というご指摘もありました。
では余計な部分をそぎおとした「人との関わり」(人間関係)はどうなっているのでしょうかという山下先生からのお話がありました。
「人はどこかで他人を自分より少し低いところに置いておきたいという心理があって、人の悪口を言う人は穴を掘ってそこへ他人を置いて優越感を持ちたいのだという話しを聞いたことがあります。特に女性は狭い生活圏の中で人のことに干渉し(上手な人間関係を築けずに)地域形成にもとても悪い影響を及ぼす傾向があるのではないでしょうか。」
男性についてもその傾向は会社生活の中で多々見うけられることではありますが、母親が気をつけていかなければならないことは日頃の行いや母親の価値基準を傍らにいる「子供」がしっかりみているということでしょう。
それは道徳という問題だけでなく、ヒトの発達において特に幼児期の後期ごろまでに「こどもは親の振る舞い方、考え方を自分のものとしてとりいれていく」いわゆる親と自分の同一視というシステムがみられるということです。
この同一視が子供の自主性の発達やセルフコントロール(自律)の要となっていることは今後こどもの自主性の発達やがまんというテーマで考えていきたいと思います。
次回は9月22日「自分の中の親(おや)密度−あなたは何パーセント?」
子供を産むと突然その瞬間から親になるわけですが、子供を持つと夫婦がどうかわっていくのか、子供を産み育てるということはどういうことなのか。
しばらくは生命を維持するために母子の濃い関係が必要になっていくわけですが、母性とはなんなのか。
子育てがつらいという声がよく聞かれる中で何がつらくしているのか、そもそも昔は楽だったのか、なぜ虐待が増えてきているのか。
実際子育てが心底楽しくてしょうがないやという方ばかりではありません。人をそだてているのですからいろいろあって当然です。
そんな自分の気持ちを正直に話して皆さんで共感して共有できたらと思います。
このテーマは3回シリーズで行う予定になっています。
以上
文責:深田貴美子